第1章 総則
今回取り上げる労務問題
・適用対象者の範囲が不明確で、中途採用の高齢者との区別がつかないケース
・正社員就業規則との適用関係が整理されず、現場で混乱が生じるケース
・嘱託社員の定義が曖昧で、パート有期法上の説明義務を果たせないケース
はじめに
六月の沖縄は梅雨の真っ只中である。那覇市内では湿った南風がガジュマルの葉を揺らしている。
株式会社あっぱれ商事では今年度、定年を迎えた社員三名が嘱託社員として再雇用された。ところが就業規則の適用をめぐり疑問の声が上がっていた。厚生労働省「高年齢者雇用状況等報告」(令和六年)によると、六十五歳までの雇用確保措置を実施する企業は99.9%、うち継続雇用制度が67.4%を占める。制度は広く普及しているが、その土台である嘱託社員就業規則の「目的」や「適用範囲」が曖昧なまま運用されている企業は少なくない。本稿では第1条と第2条に焦点を当て、トラブルを通じて総則の読み方を学ぶ。
登場人物紹介
江尾(えび)社労士:社会保険労務士として二十年以上のキャリアを持つベテラン。現場目線の的確な助言に定評がある。
画猫(がねこ)さん:株式会社あっぱれ商事の人事部総務課三年目。日々の疑問を江尾社労士にぶつけながら成長中。
トラブル1:私も嘱託社員ですよね──中途採用の高齢者と適用範囲の混乱
六月最初の月曜日。画猫さんは申入書を手に、江尾社労士のオフィスを訪ねた。
画猫さん:中途採用で入社した六十三歳のCさんから、自分にも嘱託社員就業規則が適用されるはずだと申し入れがありました。Cさんは他社を退職後、当社に契約社員として入社した方です。
江尾社労士:Cさんは、あっぱれ商事の正社員として定年を迎えた方ではないのですね。確認すべきは第2条です。「この規程は、正社員の定年後に嘱託社員として再雇用された者について適用する」と記されています。年齢が近くても自動的に適用されるわけではありません。
画猫さん:適用の条件は、あくまで正社員の定年後に再雇用された者なのですね。
江尾社労士:そのとおりです。労働基準法第89条は就業規則の作成義務を定めていますが、誰に適用されるのかが曖昧では機能しません。Cさんのような中途採用の方は、採用時の労働契約に基づく別の就業規則が適用されます。雇用区分を明確にし、該当する規則を丁寧に説明してください。なお、高年齢者雇用安定法の継続雇用義務は自社の正社員が定年に達した場合に生じるもので、Cさんには適用されません。ただし、パート有期法第8条が禁じる不合理な待遇差を設けてはならない点は同じです。
適用範囲を明確にしておくことが、トラブル防止の出発点である。
トラブル2:どちらのルールに従えばよいのですか──正社員就業規則との適用関係
同じ週の水曜日。画猫さんは別の相談を抱えて再び訪れた。
画猫さん:嘱託社員のAさんが遅刻を繰り返しています。上長から、正社員就業規則と嘱託社員就業規則のどちらの懲戒規定に基づくべきか相談がありました。
江尾社労士:よくある混乱です。第1条は「嘱託社員の就業に関する労働条件および服務規律、その他就業に関する必要な事項を定めたもの」と宣言しています。第2条によりAさんには嘱託社員就業規則が適用されますから、懲戒も第32条以下の規定に基づきます。
画猫さん:正社員就業規則の規定は適用されないのですね。
江尾社労士:原則そうです。ただし、嘱託社員就業規則に定めのない事項が生じたとき、根拠が曖昧になるおそれがあります。そのような場合に備えて、嘱託社員就業規則の中に、想定されるすべての事項を漏れなく盛り込んでおくことが大切です。嘱託社員就業規則は独立した一冊で完結する構成を目指してください。
画猫さん:Aさんの遅刻については、どの条文が関係しますか。
江尾社労士:第23条が始業・終業時刻の厳守義務を、第24条が遅刻等の届出義務を定めています。これらの義務違反は第34条の懲戒事由に該当しえます。ただし処分を行う際は、第32条第2項の手続き──事実確認、事情聴取、弁明の機会の付与──を必ず踏んでください。嘱託社員には規律を守る義務があり、会社には適正な手続きを踏む義務があります。
どちらの就業規則が適用されるのかを明確にすることは、会社と嘱託社員双方にとって公正な運用の出発点である。
トラブル3:パート社員とは何が違うのですか──定義の曖昧さと説明義務
翌週の月曜日。画猫さんはBさんとの面談を終えたばかりだった。Bさんは週四日・一日六時間で再雇用された嘱託社員である。
画猫さん:Bさんから、フルタイムでもないのになぜパート社員ではなく嘱託社員なのか、待遇に差があるなら理由を説明してほしいと求められました。
江尾社労士:パートタイム・有期雇用労働法第2条は、短時間労働者を「同一の事業主に雇用される通常の労働者の1週間の所定労働時間に比し短い労働者」と定義しています。Bさんは短時間労働者かつ有期雇用労働者に該当し、同法の保護を受けます。呼称が嘱託社員でも法律の適用は変わりません。
画猫さん:では、なぜ嘱託社員という別の区分を設けているのですか。
江尾社労士:第1条と第2条に立ち返ると理解できます。この規則は、正社員として長年勤務した方が定年後に再雇用されるという経緯を踏まえた労働条件を定めるために存在します。たとえば第15条は、正社員時代の勤続年数を年次有給休暇の算定に通算する嘱託社員に特有の規定です。
画猫さん:雇用の経緯が異なるから別の就業規則が必要なのですね。Bさんにはどう説明すれば。
江尾社労士:パート有期法第14条の説明義務に沿って対応してください。嘱託社員という区分が定年後再雇用の経緯に基づくことをまず説明し、待遇差がある場合はその理由を具体的に伝えます。退職金が原則不支給である理由(第54条)なども含まれます。そして、こうした質問をしたことを理由とする不利益取扱いは、同条第3項で明確に禁止されています。Bさんの質問は、制度を見つめ直す良い機会です。
おわりに
江尾社労士:今日は第1章・総則を取り上げました。第1条と第2条はわずか二条ですが、すべての規定の前提となる入口の鍵です。
画猫さん:適用範囲が曖昧では現場が混乱するのですね。
江尾社労士:次回は第2章「再雇用、個人情報の収集と変更」です。再雇用手続きや契約更新、六十五歳以降の継続雇用基準など、トラブルの多い分野を扱います。
画猫さん:楽しみにしています。本日もありがとうございました。
参照条文一覧
|
条文・法令 |
タイトル |
概要 |
主な関連トラブル |
|
嘱託社員就業規則 第1条 |
目的 |
労働条件・服務規律等の規定 |
トラブル2 |
|
嘱託社員就業規則 第2条 |
適用範囲 |
定年後再雇用者に適用 |
トラブル1、2、3 |
|
嘱託社員就業規則 第15条 |
年次有給休暇 |
正社員期間通算の有休付与 |
トラブル3 |
|
嘱託社員就業規則 第23条 |
出退勤 |
始業・終業時刻の厳守 |
トラブル2 |
|
嘱託社員就業規則 第24条 |
欠勤、遅刻等 |
事前届出義務 |
トラブル2 |
|
嘱託社員就業規則 第32条 |
懲戒 |
弁明の機会等の手続き |
トラブル2 |
|
嘱託社員就業規則 第34条 |
懲戒事由の適用 |
事由と処分の対応 |
トラブル2 |
|
嘱託社員就業規則 第54条 |
退職金 |
原則不支給 |
トラブル3 |
|
労働基準法 第89条 |
就業規則作成義務 |
10人以上の事業場の義務 |
トラブル1 |
|
高年齢者雇用安定法 第9条 |
雇用確保措置 |
65歳までの継続雇用等 |
トラブル1 |
|
パート有期法 第2条 |
定義 |
短時間・有期雇用労働者 |
トラブル3 |
|
パート有期法 第8条 |
不合理な待遇の禁止 |
不合理な待遇差の禁止 |
トラブル1 |
|
パート有期法 第14条 |
説明義務 |
待遇差の説明・不利益取扱禁止 |
トラブル3 |
社会保険労務士 江尻育弘