第2章 再雇用、個人情報の収集と変更
今回取り上げる労務問題
・再雇用を希望したにもかかわらず拒否されたと主張されるケース
・再雇用時の労働条件が大幅に引き下げられ、同一労働同一賃金の観点から説明を求められるケース
・65歳以降の継続雇用を期待していたが、更新基準を満たさないとして雇止めされるケース
はじめに
六月の沖縄は、梅雨のまっただ中である。本土ではまだ梅雨入りが話題になる頃、沖縄ではすでに一カ月近く雨季を過ごしている。街路樹の月桃(げっとう)が白い花房を垂らし、甘い香りを漂わせていた。
あっぱれ商事では今期、定年到達者が例年の倍に上り、画猫さんの机には再雇用の面談記録が積み上がっている。厚生労働省の「高年齢者雇用状況等報告」(令和5年)によると、65歳までの雇用確保措置の実施率は99.9%に達しているが、措置の実施と円滑な運用は別の問題である。
登場人物紹介
江尾(えび)社労士──社会保険労務士として20年以上のキャリアを持つベテラン。
画猫(がねこ)さん──株式会社あっぱれ商事の人事部総務課に所属して3年目。今期、再雇用手続きの主担当を初めて任されている。
トラブル1:「再雇用を断られました。」──再雇用拒否の正当性と高年齢者雇用安定法
月曜日の朝。画猫さんは困惑した表情で江尾社労士を訪ねた。
画猫さん:「定年を迎えたAさんから再雇用の申し出がありました。ところが所属長から『協調性に欠けるので再雇用したくない』と言われています。再雇用を断ることは許されるのでしょうか。」
江尾社労士:「高年齢者雇用安定法第9条は、65歳までの雇用確保措置を義務づけています。あっぱれ商事は継続雇用制度を採用しており、嘱託社員就業規則の第3条がこれにあたります。第3条第2項を見ましょう。再雇用の申し出を行った者は、『次の場合を除き、原則として嘱託社員として再雇用する』と定めています。例外は2つ──正社員就業規則の一般退職事由および解雇事由に該当する場合と、労働条件について合意に至らなかった場合です。『協調性に欠ける』という漠然とした主観的評価は、解雇事由には該当しないでしょう。」
画猫さん:「どのような場合なら再雇用を断れるのですか。」
江尾社労士:「横領や暴力行為など、解雇事由に該当する重大な非違行為があった場合や、心身の状態により業務遂行が客観的に困難な場合などです。いずれも客観的かつ合理的な根拠が必要です。」
画猫さん:「Aさんは所定の書式で期限内に申し出を行っています。」
江尾社労士:「であれば手続き上の問題はありません。第3条第1項は、定年退職日の所定期間前までに所定の様式で申し出る義務を嘱託社員に課しています。この手続きを怠れば権利の主張は難しくなります。権利と義務は表裏一体です。結論として、客観的な拒否事由がない以上、再雇用を拒むことは高年齢者雇用安定法の趣旨に反するリスクがあります。」
再雇用拒否の判断には、就業規則の例外事由と法律の趣旨の両面から、客観的な根拠が求められるのである。
トラブル2:「仕事は同じなのに、給与だけ下がりました。」──再雇用時の労働条件と同一労働同一賃金
水曜日の午後。画猫さんは再雇用されたばかりのBさんとの面談記録を手に、再び訪ねてきた。
画猫さん:「Bさんから、『定年前と同じ仕事なのに基本給が4割も下がった。納得できない。説明してほしい』と求められました。」
江尾社労士:「第3条第2項は、労働条件の合意を再雇用の前提としています。形式的に署名があっても、説明が不十分であれば問題は残ります。ここに、パートタイム・有期雇用労働法(パート有期法)が交差します。Bさんは有期契約の嘱託社員ですから同法の適用を受け、第8条により、職務の内容や人材活用の仕組みを考慮した不合理な待遇差は禁止されています。」
画猫さん:「第1章でも触れた論点ですね。Bさんの業務内容は定年前とほぼ同じですが、異動の可能性はなくなっています。」
江尾社労士:「最高裁の長澤運輸事件判決(平成30年)は、定年後再雇用であるという事情を『その他の事情』として考慮しうるとしました。ただし、個々の手当について趣旨に照らして不合理性を判断しています。基本給の4割減は、項目ごとに根拠を説明できなければ不合理と評価されるリスクがあります。」
画猫さん:「漠然と『再雇用だから下がる』では不十分なのですね。」
江尾社労士:「そのとおりです。パート有期法第14条の説明義務に基づき、基本給の算定根拠、手当の有無、賞与(第53条参照)や退職金不支給(第54条参照)の理由を個別に説明する準備が必要です。パートタイム社員編でも強調した同一労働同一賃金の考え方は、嘱託社員にもそのまま適用されます。一方、Bさんにも第6条第4項の届出義務など、果たすべき義務があります。」
再雇用時の労働条件は、就業規則の合意手続き(第3条)、均衡待遇(パート有期法第8条)、説明義務(同法第14条)が交差する領域である。待遇差の説明資料を事前に整備しておくことが、トラブル防止の要となる。
トラブル3:「65歳以降も働けると思っていました。」──契約更新の期待と雇止め法理
金曜日の夕方。月桃は沖縄では「サンニン」とも呼ばれ、旧暦12月8日に厄除けの餅「ムーチー」を包む葉として親しまれている。花が咲く六月は葉が最も瑞々しい。
画猫さん:「Cさんは今年65歳の嘱託社員で、4回の契約更新を経てきました。『65歳で契約満了』と伝えたところ、『70歳まで働けると聞いていた』と言われました。」
江尾社労士:「第4条と第5条の構造を整理しましょう。第4条は『原則として満65歳に達する日までを限度に継続雇用の措置を講ずる』とし、第5条は『措置を講ずることがある』です。第5条は会社の裁量による任意の措置であり、4つの基準──勤労意欲、健康状態、出勤率、懲戒処分歴──のすべてを満たす者だけが対象です。Cさんの状況はいかがですか。」
画猫さん:「昨年、無届の遅刻が数回あり、出勤率が基準をわずかに下回っています。」
江尾社労士:「基準を満たしていないことになります。ただし、Cさんが期待した理由が問題です。再雇用時に人事担当者が70歳まで働けると示唆していませんでしたか。」
画猫さん:「実は、『真面目に働いていれば70歳まで大丈夫ですよ』と口頭で伝えていたそうです。」
江尾社労士:「労働契約法第19条の雇止め法理は、契約更新について合理的な期待がある場合、合理的理由を欠く雇止めを無効とします。4回の更新実績と担当者の発言があれば、合理的な期待が認定される可能性があります。」
江尾社労士:「法律上、65歳から70歳の就業確保は努力義務です(高年齢者雇用安定法第10条の2)。だからこそ、第4条第1項の手続き──書面での申し出と会社からの可否・条件の提示──を毎回丁寧に踏み、65歳到達前には第5条の基準を明示して、保証ではないことを説明すべきです。」
画猫さん:「事前の説明と記録管理が不足していたことが根本原因ですね。」
江尾社労士:「そうです。第6条の観点でも、面談記録や条件説明の記録は適正さの証拠になります。マイナンバー提示義務(第6条第2項)のように、嘱託社員にも協力義務があります。手続きの適正さは労使双方の責任です。」
契約更新のトラブルは、法律の枠組み(義務と努力義務の区別)、条文の表現の違い(第4条と第5条)、現場の運用が複合的に絡み合う。手続きの一つひとつが将来のリスク管理に直結する。
おわりに
江尾社労士:「今日は第2章を取り上げました。第3条から第6条の4条文ですが、高年齢者雇用安定法、パート有期法、労働契約法が交差する重要領域です。」
画猫さん:「再雇用の拒否、労働条件の設定、契約更新のいずれも、条文と法律の趣旨を理解した運用が大切だとわかりました。」
江尾社労士:「共通するのは手続きの適正さと説明責任です。嘱託社員にも、申し出手続き(第3条第1項、第4条第1項)、届出変更(第6条第4項)、マイナンバー提示(第6条第2項)など義務があります。権利と義務を労使双方が認識することが、円滑な雇用関係の土台です。次回は第3章『異動および出張』を取り上げます。」
画猫さん:「楽しみにしています。本日もありがとうございました。」
参照条文一覧
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条文・法令 |
タイトル |
概要 |
関連トラブル |
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嘱託社員就業規則第3条 |
再雇用 |
再雇用の申し出手続き、拒否事由、有期契約の定め |
トラブル1、2 |
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嘱託社員就業規則第4条 |
契約更新 |
契約更新の手続き、65歳までの継続雇用措置 |
トラブル3 |
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嘱託社員就業規則第5条 |
満70歳までの継続雇用 |
65歳以降の継続雇用基準と手続き |
トラブル3 |
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嘱託社員就業規則第6条 |
個人情報の収集と変更 |
情報の継続使用、マイナンバー提示義務、届出義務 |
トラブル3 |
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嘱託社員就業規則第53条 |
賞与 |
業績に応じた賞与支給の規定 |
トラブル2 |
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嘱託社員就業規則第54条 |
退職金 |
嘱託社員に原則不支給 |
トラブル2 |
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高年齢者雇用安定法第9条 |
高年齢者雇用確保措置 |
65歳までの雇用確保措置の義務 |
トラブル1 |
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高年齢者雇用安定法第10条の2 |
高年齢者就業確保措置 |
65歳から70歳までの就業確保の努力義務 |
トラブル3 |
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パート有期法第8条 |
不合理な待遇の禁止 |
短時間・有期雇用労働者との不合理な待遇差の禁止 |
トラブル2 |
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パート有期法第14条 |
説明義務 |
待遇差の内容・理由の説明義務、不利益取扱い禁止 |
トラブル2 |
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労働契約法第19条 |
有期労働契約の更新等 |
雇止め法理(合理的期待がある場合の制限) |
トラブル3 |
社会保険労務士 江尻育弘