第9章 賃金
今回取り上げる労務問題
・「定年後再雇用だから、賞与はゼロで構いませんよね」──再雇用者の賞与不支給と同一労働同一賃金
・「嘱託社員に退職金は払わない。それが当社のルールです」──退職手当をめぐる均衡の要請
・「住宅手当は正社員だけ。長年そうしてきました」──手当は『目的』で扱いが変わる
・「労働条件通知書、今までどおりでよいですよね」──2026年10月から始まる説明請求の明示義務
はじめに
7月下旬、那覇の空は青く高く、遠くの海面が銀色に光っていた。旧盆を終えた街は、また日常の速さを取り戻している。人事部総務課の画猫さんの机には、一枚の相談メモが置かれていた。「定年後再雇用のIさん、賞与ゼロで問題ないか」。短いその一文の裏に、いま日本の労務管理でもっとも神経を使う論点が横たわっている。
2026年10月1日、同一労働同一賃金に関するガイドラインと施行規則が改正され、施行される。法律そのものの大改正ではないが、賞与や退職手当、各種手当の考え方が整理され、労働条件の明示義務も強化される。定年後再雇用の嘱託社員の処遇は、まさにこの改正の中心にある。第9章は、本シリーズの山場である。江尾社労士とともに、賃金という最も切実なテーマに、正面から向き合っていく。
登場人物紹介
江尾社労士……社会保険労務士として20年以上のキャリアを持つベテラン。「賃金は、その人の働きへの敬意を映す鏡だ」という信念を持つ。
画猫さん……あっぱれ商事の人事部総務課に所属して3年目。同一労働同一賃金という言葉は知っているが、自社の制度にどう当てはめるかで頭を抱えている。
画猫さん:江尾先生、今日はいよいよ賃金の章ですね。正直、いちばん不安なテーマです。「同一労働同一賃金」という言葉はよく聞くのですが、当社の嘱託社員の賃金が、それに反していないか、自信が持てません。
江尾社労士:その不安は、多くの会社が同じように抱えています。まず、大きな枠組みを押さえましょう。同一労働同一賃金の土台は、パートタイム・有期雇用労働法という法律です。かつては労働契約法第20条にあった定めが、この法律の第8条と第9条に引き継がれました。第8条は、正社員と有期・短時間労働者との間で、不合理な待遇差を設けてはならない、という「均衡待遇」の原則を定めています。
画猫さん:「均衡」というのは、まったく同じにせよ、という意味ではないのですね。
江尾社労士:そこが要点です。均衡待遇は「釣り合いのとれた待遇にせよ」という意味であって、一律に同額にせよ、というものではありません。第8条は、待遇の違いが不合理かどうかを、職務の内容、職務内容や配置の変更の範囲、その他の事情のうち、その待遇の性質と目的に照らして適切と認められるものを考慮して判断する、としています。つまり、待遇ごとに、その性質と目的に照らして、違いが不合理でないかを個別に見ていくのです。
画猫さん:賃金全体をひとまとめにするのではなく、賞与は賞与、手当は手当と、項目ごとに見るのですね。
江尾社労士:そのとおりです。この「項目ごとに、性質と目的に照らして判断する」という考え方は、最高裁が長澤運輸事件で明確にしました。定年後に再雇用された有期のトラック運転手が、正社員との賃金差を争った事件です。最高裁は、賃金の総額を比べるのではなく、個々の賃金項目の趣旨を個別に考慮すべきだ、と判示しました。今日は、この考え方を軸に、賞与、退職手当、手当、そして説明義務の四つを見ていきましょう。
トラブル1:「定年後再雇用だから、賞与はゼロで構いませんよね」──再雇用者の賞与不支給
画猫さん:では、さっそく最初の相談です。定年後再雇用のIさんについて、上司は「嘱託社員なのだから、賞与はゼロで当然」と考えています。当社の第53条にも、嘱託社員には業績に応じて賞与を支払うことがある、とあるだけです。本当に、ゼロで問題ないのでしょうか。
江尾社労士:これは、いま最も慎重に考えるべき論点です。結論から申し上げると、「定年後再雇用だから」という理由だけで賞与をゼロにするのは、危うい、と言わざるを得ません。順を追って説明します。まず、賞与とはどういう性質のお金でしょうか。
画猫さん:業績に応じたご褒美、という印象ですが……。
江尾社労士:一般に、賞与には三つの性質があるとされています。働いた分の賃金を後から払う「賃金の後払い」、生活を支える「生活保障」、そしてよく働いてもらうための「勤労奨励」です。2026年10月に施行される改正ガイドラインは、この三つの性質が、有期や短時間の労働者にも及ぶ限りは、均衡のとれた支給が必要だ、という考え方を明確にしました。
画猫さん:正社員と同じ性質の賞与なら、嘱託社員にもそれに応じて払うべきだ、ということですか。
江尾社労士:正確には、「その性質が及ぶ範囲で、均衡のとれた支給が必要」ということです。ここで、定年後再雇用という事情がどう扱われるかが問題になります。長澤運輸事件で最高裁は、定年後に再雇用された者であることは、待遇差が不合理かどうかの判断で「その他の事情」として考慮される、としました。定年後再雇用であること自体は、待遇差を正当化する方向に働きうる事情なのです。
画猫さん:それなら、定年後再雇用を理由に、賞与を低く、あるいはゼロにできそうにも聞こえますが。
江尾社労士:そこが誤解しやすいところです。「その他の事情」として考慮されることと、ゼロが認められることは、まったく別です。もう一つ、名古屋自動車学校事件という最高裁の判決があります。令和5年7月のものです。定年後再雇用の嘱託職員の基本給と賞与が争われました。原審は、正職員の6割を下回る限度で不合理だと判断したのですが、最高裁はその判断を破棄し、審理を差し戻しました。
画猫さん:最高裁が原審を破棄した、ということは、会社の側が勝ったのですか。
江尾社労士:そう単純ではありません。最高裁が破棄したのは、原審が「基本給や賞与の性質と支給目的をきちんと検討しないまま、6割という数字で線を引いた」点を問題にしたからです。最高裁は、正職員の基本給にどのような性質があるのか、嘱託職員の基本給や賞与の性質と目的は何か、それらを個別に検討したうえで判断せよ、と求めたのです。つまり、「性質と目的をていねいに検討せよ」という宿題を突きつけた判決であって、「再雇用なら賞与ゼロで安全」という判決ではありません。
画猫さん:なるほど。数字だけで割り切るな、性質と目的を検討せよ、という判断なのですね。ゼロを正当化する免罪符ではない、と。
江尾社労士:まさにそのとおりです。加えて、改正ガイドラインは、待遇差の理由として「正社員の人材を確保するため」という主観的・抽象的な理由だけを挙げることは認めない、としています。「正社員をつなぎとめるためだから、嘱託の賞与はゼロでよい」という説明は、もはや通らないのです。賞与をゼロや著しく低い水準にするなら、その賞与の性質に照らして、なぜその水準が不合理でないのかを、客観的・具体的に説明できなければなりません。
画猫さん:Iさんの場合、仕事の内容が現役時代とほとんど変わっていないのです。それでも賞与ゼロというのは、説明が難しそうです。
江尾社労士:職務の内容が正社員とほとんど変わらないのであれば、賞与ゼロの説明はいっそう難しくなります。改正ガイドラインは、賞与を不支給とする場合には、それに見合う基本給などの上乗せがない限り、不合理と判断されうる、という考え方を示しています。実務では、賞与の一定割合を支給する、あるいは職務や責任の範囲に応じた係数を設けて支給する、といった均衡設計が求められます。段階的に水準を引き上げるロードマップを描く会社も増えています。
画猫さん:いきなり満額でなくとも、ゼロから一歩踏み出し、均衡に向けた道筋を示すことが大切なのですね。
江尾社労士:そのとおりです。もう一点、重要な注意があります。労使で「嘱託の賞与はゼロ」と合意していても、それだけで安全にはなりません。パートタイム・有期雇用労働法第8条は強行法規です。労使の合意があっても、不合理な待遇差そのものを消し去る効果はありません。合意はあくまで「その他の事情」の一つとして考慮されるにとどまります。だからこそ、合意に頼るのではなく、待遇の性質と目的に基づいて説明できる制度を整えることが本筋なのです。
画猫さん:賞与を均衡に近づけていくとして、その水準は、どのように決めればよいのでしょうか。感覚で決めるわけにはいきませんね。
江尾社労士:鍵になるのは、評価と賃金を結びつける仕組みです。当社の第52条は、契約を更新する際に、職務遂行能力、勤務成績、勤務態度などを評価し、基本給を改定することがある、と定めています。改正ガイドラインも、短時間・有期の労働者にも、教育訓練や評価の機会を与え、評価に基づいて賃金を改善していく循環を築くことを求めています。嘱託社員の働きぶりを、正社員と同じ物差しで評価できるなら、その評価に応じて賞与の水準を定める、という筋道が立てられます。
画猫さん:評価の仕組みがあれば、「なぜこの水準なのか」を、評価の結果として説明できるのですね。ゼロか満額かの二択ではなく、評価に応じた均衡、という考え方ですね。
江尾社労士:まさにそこです。職務の範囲や責任の重さに応じた係数を設けて、正社員の一定割合を支給する。あるいは、当初は低い水準から始め、年ごとに引き上げる段階導入のロードマップを、労使で合意しながら進める。こうした設計は、いずれも「なぜその水準か」を説明可能にします。説明できることこそが、同一労働同一賃金への対応の核心なのです。
トラブル2:「嘱託社員に退職金は払わない。それが当社のルールです」──退職手当の均衡
画猫さん:次の相談です。当社の第54条には、嘱託社員には原則として退職金は支払わない、と明記してあります。これは長年のルールなのですが、このままで問題ないのでしょうか。
江尾社労士:退職手当も、賞与と同じ枠組みで考えます。まず、退職手当にはどのような性質があるかです。一般に、退職手当には、長年の勤務に対する「賃金の後払い」と、退職後の「生活保障」という性質があるとされています。改正ガイドラインは、この性質が有期や短時間の労働者にも及ぶ範囲では、相応の支給か、あるいは見合いの措置が必要だ、という考え方を新たに明確にしました。
画猫さん:退職金にも、賞与と同じように均衡が求められるのですね。最高裁の判断はどうなっているのですか。
江尾社労士:メトロコマース事件という令和2年10月の最高裁判決があります。売店で長く働いた契約社員に退職金が支払われないことが争われました。最高裁は、この事案では、退職金を正社員のみに支給することが不合理とまでは言えない、と判断しました。ただし、ここでも読み方が大切です。
画猫さん:また、単純に「払わなくてよい」という判決ではない、ということですか。
江尾社労士:そのとおりです。最高裁がこの結論を導いたのは、正社員への登用制度があり、実際に登用の実績も相当数あったこと、正社員と契約社員とで職務や責任の範囲に違いがあったこと、といった具体的な事情を「その他の事情」として考慮したからです。退職金の不支給が、どんな場合でも一律に適法だと判断したわけではありません。事情が異なれば、結論も変わりうるのです。
画猫さん:では、当社が「原則として退職金は支払わない」と定めているだけでは、安全とは言えないのですね。
江尾社労士:規則にそう書いてあることと、その扱いが不合理でないことは、別の問題です。特に、当社の嘱託社員は定年後再雇用であり、長年正社員として貢献してきた方々です。無期転換した嘱託社員がいる場合には、なおさら慎重な検討が要ります。改正ガイドラインが示す均衡の考え方に照らして、たとえば無期転換後の一定期間から退職手当を支給する設計や、退職手当を支給しない代わりに基本給や各種手当を上乗せする設計など、見合いの措置を検討しておくことが望ましいのです。
画猫さん:無期転換後から支給を始める、という設計は、正社員の支給開始時期との整合を意識したものですね。
江尾社労士:よく理解されています。改正ガイドラインは、正社員の退職手当の支給が始まる勤続年数と整合させる設計を、一つの望ましい例として挙げています。たとえば、有期で数年勤めたのちに無期転換し、その後から支給を始める、といった形です。ただし、既にある正社員の退職手当制度を引き下げて均衡をとろうとすると、今度は不利益変更の問題が生じます。均衡は「下げてそろえる」のではなく、原則として「引き上げてそろえる」方向で考えるべきなのです。
画猫さん:均衡のためと言って正社員の退職金を削ると、別の問題を招く。バランスの取り方まで気を配る必要があるのですね。先ほど「無期転換した嘱託社員」というお話がありましたが、これはどういう場合でしょうか。
江尾社労士:労働契約法第18条の無期転換ルールのことです。有期契約が反復更新されて通算5年を超えると、労働者の申込みによって、期間の定めのない契約に転換できる、という仕組みです。ただし、定年後再雇用の嘱託社員については、特例があります。第二種計画認定という手続きを、都道府県労働局から受けておけば、定年後に引き続き雇用される期間は、この5年の通算から除外できるのです。
画猫さん:その認定を受けておかないと、定年後の再雇用期間も通算されて、無期転換の申込みができてしまう、ということですか。
江尾社労士:そのとおりです。認定を受けていない場合、定年後の再雇用が通算5年を超えると、嘱託社員が無期転換を申し込めることになります。無期転換した嘱託社員は、期間の定めのない労働者となりますから、退職手当をはじめとする待遇の均衡が、いっそう強く問われる立場になります。ですから、退職手当の設計を考えるうえでも、まず自社が第二種計画認定を受けているかを確認することが出発点になります。
画猫さん:退職金の話が、無期転換の手続きの確認にまでつながるのですね。制度は、あちこちで結びついているのだと実感します。
トラブル3:「住宅手当は正社員だけ。長年そうしてきました」──手当は『目的』で扱いが変わる
画猫さん:三つ目の相談です。当社では、住宅手当を正社員にだけ支給しています。嘱託社員には支給していません。これは見直しが必要でしょうか。
江尾社労士:手当については、「その手当が何のために支給されているのか」という目的を突き止めることが、出発点になります。同じ「住宅手当」という名前でも、目的によって扱いが変わるのです。
画猫さん:名前ではなく、目的で判断する。具体的には、どういうことでしょうか。
江尾社労士:改正ガイドラインは、住宅手当を目的によって二つに分けて考えます。一つは、転勤にともなう住居費の負担を補う目的の場合です。この場合、転勤のない層に支給しないことは、必ずしも不合理ではありません。もう一つは、転勤の有無にかかわらず、一般的な居住費を補助する目的の場合です。この場合は、同じ目的が及ぶ層には支給すべきだ、とされます。
画猫さん:すると、当社の住宅手当が、転勤者のための手当なのか、それとも住居費一般を助けるための手当なのかを、まず確かめる必要があるのですね。
江尾社労士:そのとおりです。嘱託社員は、多くの場合、転勤を予定していません。もし当社の住宅手当が、転勤にともなう二重生活の負担を補う目的であれば、転勤のない嘱託社員に支給しないことは、不合理とは言えないでしょう。しかし、実際には転勤とは関係なく、広く住居費の補助として支給しているのであれば、嘱託社員にも同じ目的が及びます。その場合は、支給しないことが不合理と判断される可能性が出てきます。
画猫さん:長澤運輸事件では、たしか住宅手当の扱いも争われたと思いますが、どう判断されたのですか。
江尾社労士:よく覚えていましたね。長澤運輸事件では、住宅手当や家族手当について、正社員には支給し、定年後再雇用の嘱託には支給しないという違いが、不合理とまでは言えない、と判断されました。ただし、これはその会社の手当の趣旨や、賃金体系全体の事情を踏まえた判断です。ここでも、自社の手当の目的を具体的に確かめずに、「あの判例で不合理でないとされたから、うちも大丈夫」と考えるのは危険です。判例は結論だけを借りるものではなく、判断の枠組みを学ぶものなのです。
画猫さん:判例の結論だけをつまみ食いしてはいけない、ということですね。手当ひとつひとつ、目的を書き出して点検してみます。
江尾社労士:それが正しい進め方です。第47条は、賃金の構成として、基本給のほかに各種手当を挙げています。通勤手当、時間外労働手当なども含め、一つ一つの手当について、何のために支給しているのかを言葉にしてみてください。目的が説明できない手当は、そもそも制度として曖昧だということです。この棚卸しそのものが、同一労働同一賃金への対応の第一歩になります。
画猫さん:通勤手当のように、目的がはっきりしている手当は、どう考えればよいでしょうか。
江尾社労士:通勤手当は、通勤にかかる実費を補う、という目的が明確な手当です。この目的は、正社員であろうと嘱託社員であろうと、等しく及びます。通勤にかかる費用は、雇用区分によって変わるものではないからです。ですから、通勤手当を正社員にだけ支給し、嘱託社員には支給しない、という扱いは、不合理と判断される可能性が高いと考えるべきです。当社の第49条は、嘱託社員にも通勤手当を実費弁償として支給する設計になっていますから、この点は問題ありません。
画猫さん:目的が誰にでも等しく及ぶ手当は、区別する理由がない、ということですね。手当ごとに、目的が誰に及ぶのかを見極めるのが肝心なのですね。
江尾社労士:そのとおりです。目的が全員に及ぶ手当は、そろえる。目的が特定の層にだけ及ぶ手当は、その層に限る。この単純な原則を、一つ一つの手当に当てはめていく。手当の点検は、地味な作業ですが、同一労働同一賃金への対応で最も着実に前進できる部分なのです。
トラブル4:「労働条件通知書、今までどおりでよいですよね」──2026年10月からの説明義務
画猫さん:最後の相談です。制度の見直しには時間がかかりそうですが、まず今すぐ準備しておくべきことはありますか。
江尾社労士:あります。それが、2026年10月1日から始まる、労働条件の明示に関する新しいルールです。これは制度の中身の話ではなく、書面で伝える事項が増えるという、手続きの話です。締め切りが明確ですから、まずここから着手するのが現実的です。
画猫さん:書面で伝える事項が増えるのですね。具体的には、何が加わるのですか。
江尾社労士:パートタイム・有期雇用労働法では、短時間・有期の労働者を雇い入れる際に、昇給の有無、退職手当の有無、賞与の有無、そして相談窓口を、書面などで明示することが求められてきました。2026年10月1日からは、これに加えて、「正社員との待遇の違いの内容や理由について、説明を求めることができる」という旨を、明示しなければならなくなります。施行規則の改正によるものです。
画猫さん:本人が「なぜ自分は待遇が違うのか」と説明を求められること自体を、あらかじめ知らせておく、ということですね。
江尾社労士:そのとおりです。もともと、パートタイム・有期雇用労働法第14条第2項には、労働者から求めがあれば、正社員との待遇差の内容と理由を説明しなければならない、という義務があります。ところが、実際に説明を求める労働者は一割にも満たず、説明が行われる例も限られていました。そこで、権利があること自体を雇入れ時に知らせることで、この説明の仕組みを実効的にしよう、というのが今回の趣旨です。
画猫さん:明示を怠ると、何か罰則はあるのですか。
江尾社労士:この明示義務に違反した場合には、10万円以下の過料の対象となります。金額の大小ではなく、法令上の義務を果たしていないという事実が、会社の信用にかかわります。ですから、2026年10月1日以降に嘱託社員を雇い入れる、あるいは契約を更新する際には、労働条件通知書の様式を改訂し、この説明請求ができる旨を必ず盛り込んでおく必要があります。
画猫さん:様式の改訂は、すぐにでも取りかかれますね。ただ、明示したうえで、実際に説明を求められたら、どう答えればよいのでしょうか。
江尾社労士:そこが本質です。説明を求められたら、待遇の項目ごとに、正社員との違いの内容と、その理由を、具体的に説明しなければなりません。基本給、賞与、退職手当、各種手当、休暇などについて、なぜその違いがあるのか、その待遇の性質と目的に照らして答えるのです。ここで、今日お話ししてきた賞与、退職手当、手当の点検が生きてきます。説明できる制度を整えることと、説明義務を果たすことは、表裏一体なのです。
画猫さん:なるほど。様式を直すだけでは足りず、問われたときに答えられる中身を用意しておくことまでが、一続きの準備なのですね。
江尾社労士:そのとおりです。行政も、労働基準監督署と雇用環境・均等部門が連携し、調査で得た情報を共有して指導を強める方針を示しています。付け焼き刃ではなく、待遇ごとに性質と目的を言葉にし、その根拠を資料として残しておく。その積み重ねが、いざ説明を求められたときにも、行政の調査が入ったときにも、会社を支えます。2026年10月は、そのための良い区切りになります。
画猫さん:説明の記録は、どのように残しておけばよいでしょうか。口頭で説明して終わり、では心もとない気がします。
江尾社労士:よい着眼です。説明を求められた事実、いつ、誰に、どの待遇について、どう説明したか。これらを様式にそろえて記録し、待遇ごとの性質・目的の根拠となる資料とあわせて保管しておくことをお勧めします。口頭で説明した場合でも、その要旨を書面に残しておくのです。こうしたエビデンスの管理を標準化しておけば、担当者が代わっても対応の質が保たれますし、万一の紛争でも、会社が誠実に説明責任を果たしてきたことを示せます。
画猫さん:説明したという事実と、その根拠。両方をそろえて残す。地道ですが、いちばん確実な備えなのですね。
おわりに
第9章では、本シリーズの山場である賃金と同一労働同一賃金を扱った。貫く原則は明快である。待遇差が不合理かどうかは、賃金の総額ではなく、賞与、退職手当、手当といった項目ごとに、その性質と目的に照らして判断される。「定年後再雇用だから」「正社員をつなぎとめるため」という抽象的な理由だけでは、待遇差を正当化できない。
賞与も退職手当も、その性質が嘱託社員にも及ぶ範囲では、均衡のとれた支給、あるいは見合いの措置が求められる。手当は名前ではなく目的で判断し、労使の合意があっても不合理な待遇差そのものは消えない。そして2026年10月1日からは、説明請求ができる旨の明示が義務づけられ、問われれば待遇ごとに理由を説明しなければならない。
大切なのは、これを「コスト増の負担」とだけ捉えないことである。長年会社を支えてきた嘱託社員に、納得のいく処遇を示すことは、その経験と技能を引き出し、組織全体の力に変える投資でもある。賃金は、働きへの敬意を映す鏡である。次章では、災害補償──働く人の身体を守る仕組みを取り上げる。
参照条文一覧
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条文 |
内容の要点 |
主な関連トラブル |
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第47条 |
賃金構成。基本給・各種手当・割増賃金等。手当は目的の点検が要る。 |
トラブル3 |
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第52条 |
賃金の改定。更新時に評価を行い基本給を改定することがある。 |
トラブル1 |
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第53条 |
賞与。業績に応じて支払うことがある。不支給は性質に照らし要説明。 |
トラブル1 |
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第54条 |
退職金。原則不支給。均衡の観点から見合いの措置の検討が要る。 |
トラブル2 |
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パート有期法第8条 |
均衡待遇。待遇ごとに性質・目的に照らし不合理な差を禁止(強行法規)。 |
トラブル1・2・3 |
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パート有期法第14条2項 |
待遇差の内容・理由の説明義務(労働者の求めに応じ説明)。 |
トラブル4 |
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改正ガイドライン |
2026年10月1日施行。賞与・退職手当・手当の均衡の考え方を明確化。 |
トラブル1〜4 |
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改正施行規則 |
2026年10月1日施行。説明請求ができる旨の明示を義務化(過料対象)。 |
トラブル4 |
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長澤運輸事件 |
最判H30.6.1。項目ごとに趣旨を個別考慮。再雇用は「その他の事情」。 |
トラブル1・3 |
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名古屋自動車学校事件 |
最判R5.7.20。基本給・賞与は性質・目的を個別検討すべきと差戻し。 |
トラブル1 |
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メトロコマース事件 |
最判R2.10.13。退職金不支給を諸事情から不合理でないとした事例。 |
トラブル2 |
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労契法第18条 |
無期転換ルール。有期が通算5年超で無期転換の申込みが可能。 |
トラブル2 |
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有期特措法(第二種計画認定) |
定年後再雇用者は認定により無期転換の通算対象から除外可。 |
トラブル2 |
社会保険労務士 江尻育弘