第10章 災害補償
今回取り上げる労務問題
・「労災保険が下りるなら、会社は何も補償しなくてよいのですよね」──会社の災害補償責任と労災保険の関係
・「通勤中のけがも、業務中のけがと同じ扱いですよね」──業務災害と通勤災害の違い
・「3年たっても治らない嘱託社員を、解雇できますか」──打切補償・傷病補償年金と解雇制限
はじめに
8月を目前にした那覇は、一年でもっとも日差しの強い季節を迎えていた。倉庫や屋外での作業は、熱中症の危険と隣り合わせである。あっぱれ商事でも、朝礼で水分補給の声かけが続いている。働く人の身体を守ること。それは、あらゆる労務管理の土台にある。第10章が扱う災害補償は、その土台を支える最後の砦である。
人事部総務課の画猫さんは、先日、倉庫で足を滑らせて負傷した嘱託社員のことを気にかけていた。労災保険の手続きは進めているが、会社としてほかに何をすべきなのか、判断がつかない。災害補償は、条文の数こそ第56条の一つだが、その背後には労働基準法と労働者災害補償保険法という二つの法律が絡み合う。今日も、江尾社労士が那覇のオフィスを訪ねてきたのだ。
登場人物紹介
江尾社労士……社会保険労務士として20年以上のキャリアを持つベテラン。「補償の話は、いざというときに慌てないよう、平時に理解しておくもの」と説く。
画猫さん……あっぱれ商事の人事部総務課に所属して3年目。労災保険の手続きは経験があるが、会社の補償責任との関係までは整理できていない。
画猫さん:江尾先生、今日は正直、少し身につまされるテーマです。先日、倉庫でMさんが足を滑らせて負傷したばかりなのです。幸い軽いけがでしたが、もし大きな事故だったらと思うと、自分が何をすべきか分かっていない不安を覚えました。
江尾社労士:その不安を、平時のうちに解いておくことこそ、この章の目的です。災害は、起きてほしくないからこそ、備えが後回しになりがちです。しかし、いざ事が起きたときに慌てて調べたのでは、被災した本人を不安にさせてしまいます。今日、全体像をつかんでおけば、次に何かあっても、落ち着いて最初の一歩を踏み出せます。
画猫さん:起きてからではなく、起きる前に理解しておく。だからこそ今日、じっくり学びたいと思います。よろしくお願いいたします。
画猫さん:まず基本からうかがいます。災害補償というと、労災保険の手続きのことだと思っていました。第56条には、会社が療養補償や休業補償を行う、と書いてありますが、これは労災保険とは別のものなのでしょうか。
江尾社労士:とても本質的な疑問です。もともと、労働基準法は、業務による負傷や疾病について、会社そのものに補償の責任を負わせています。第56条は、この使用者としての災害補償責任を、就業規則に書き写したものです。労災保険は、その会社の補償責任を、国の保険制度で肩代わりする仕組みだと考えてください。順序としては、まず会社の責任があり、それを保険がカバーする、という関係になります。
画猫さん:まず会社に責任があって、その責任を労災保険が肩代わりする。順番が逆だと思っていました。
江尾社労士:そこを取り違えると、判断を誤ります。今日は、この「会社の責任と労災保険の関係」を軸に、業務災害、通勤災害、そして長期化した場合の打切補償という三つの場面を見ていきましょう。嘱託社員にも、この補償は正社員とまったく同じように及びます。ここに雇用区分による差はありません。
画猫さん:ひとつ確認させてください。第56条第1項には、療養補償、休業補償のほかにも、障害補償や遺族補償、葬祭料、打切補償と、たくさんの補償が並んでいます。それぞれ、どういう場面のものなのでしょうか。
江尾社労士:順に整理しましょう。療養補償は、治療にかかる費用を補うものです。休業補償は、療養のため働けない間の収入を補うもので、平均賃金の6割が基準です。障害補償は、治療を続けても障害が残ってしまった場合に、その程度に応じて支払うものです。遺族補償は、不幸にして亡くなった場合に、遺された家族に支払うもので、平均賃金の1000日分が基準です。葬祭料は葬儀にかかる費用で、平均賃金の60日分。そして打切補償は、療養が長期化した場合に補償を打ち切るためのもので、平均賃金の1200日分になります。
画猫さん:けがや病気の治療から、万一の場合の家族への補償まで、幅広く定められているのですね。これらも、すべて労災保険が肩代わりするのですか。
江尾社労士:そのとおりです。労災保険には、それぞれに対応する給付があります。療養補償給付、休業補償給付、障害補償給付、遺族補償給付、葬祭料、傷病補償年金といった具合です。会社の補償責任の一つ一つに、保険の給付が用意されているのです。ですから、実務では、まず労災保険の給付を申請し、それでカバーされない部分について、会社の補償責任が残っていないかを確認する、という順で考えます。
画猫さん:補償の全体像が見えてきました。では、具体的な場面で見ていきましょう。
トラブル1:「労災保険が下りるなら、会社は何もしなくてよいのですよね」──補償責任と労災保険
画猫さん:では、最初の相談です。倉庫で負傷した嘱託社員Jさんについて、労災保険の給付を申請しています。上司は「労災保険が下りるのだから、会社は何もしなくてよい」と言っています。本当にそうなのでしょうか。
江尾社労士:結論から言えば、多くの場面で、労災保険の給付があれば、会社は同じ事由について重ねて補償する必要はありません。ただし、その理由を正しく理解しておくことが大切です。第56条第2項をご覧ください。前項の補償を受けるべき者が、同一の事由について労災保険などから相当する給付を受ける場合には、その限度で、会社の補償の規定を適用しない、とあります。
画猫さん:「その限度で適用しない」というのは、労災保険がカバーした分だけ、会社の責任が消える、ということですか。
江尾社労士:そのとおりです。二重に補償する必要はない、という調整の規定です。ですから、「会社は何もしなくてよい」というより、「労災保険が会社の補償責任を肩代わりしてくれている」と理解するのが正確です。会社の責任が初めから無かったわけではないのです。この違いは、労災保険でカバーされない部分が出てきたときに効いてきます。
画猫さん:カバーされない部分、というと、たとえばどのような場合でしょうか。
江尾社労士:分かりやすいのは、休業の最初の3日間です。業務災害で仕事を休んだ場合、労災保険の休業補償給付は、休業の4日目から支給されます。最初の3日間、いわゆる待期期間には、労災保険からの給付がありません。ところが、会社の災害補償責任は、この3日間にも及びます。労働基準法は、業務災害については、この待期期間の3日間、会社が平均賃金の6割の休業補償を行うべきものとしているのです。
画猫さん:つまり、最初の3日間は労災保険が出ないので、その分は会社が休業補償をしなければならない、ということですね。「労災が下りるから会社は何もしなくてよい」では、この3日間が抜け落ちてしまいます。
江尾社労士:まさにそこが落とし穴です。第56条第1項第2号は、休業補償として平均賃金の6割を挙げています。労災保険がカバーしない待期期間の3日間については、この会社の補償責任が前面に出てくるのです。労災保険の申請さえすれば会社の役目は終わり、と考えていると、この3日間の補償を見落とします。制度の隙間にこそ、会社の責任が残っていることを覚えておいてください。
画猫さん:治療費のほうは、どうなるのでしょうか。健康保険を使うときのように、本人が一部を負担するのですか。
江尾社労士:そこも大切な違いです。業務災害の療養補償給付は、原則として、治療にかかった費用の全額がカバーされます。健康保険のような自己負担はありません。労災指定病院で受診すれば、窓口での支払いも要りません。しかも、治癒するまで、あるいは症状が固定するまで、期間の制限なく続きます。健康保険とは、負担の考え方が根本的に異なるのです。ですから、業務災害を、うっかり健康保険で受診してしまうと、後で切り替えの手続きが必要になります。ここも気をつけたい点です。
画猫さん:業務災害なのに健康保険で受診してしまう、というのは、ありがちな間違いですね。最初の入口で、業務災害かどうかを見極めることが、やはり大切なのですね。
江尾社労士:そのとおりです。入口を誤ると、本人にも会社にも余計な手間が生じます。負傷や発病の際には、まずその原因が業務にあるのかを確かめ、業務災害であれば、はじめから労災として手続きを進める。この最初の判断が、その後の流れを大きく左右するのです。
画猫さん:入口の見極めが肝心。労災保険と会社の補償は、重なる部分と、そうでない部分がある。全体像をつかんでおくことが大切なのですね。
画猫さん:ひとつ気になったのですが、業務災害かどうかは、どのように判断するのでしょうか。倉庫での転倒は、明らかに業務中だと分かりますが。
江尾社労士:業務災害と認められるには、二つの要件があります。一つは、会社の支配下にあったこと、いわゆる業務遂行性です。もう一つは、その業務が原因で災害が起きたこと、業務起因性です。倉庫での作業中の転倒は、両方を満たしますから、業務災害にあたります。近年は、熱中症も、屋外や高温の環境での作業が原因であれば、業務災害と認められる場合があります。この季節の沖縄では、特に注意が要ります。
画猫さん:暑さによる体調不良も、作業環境が原因なら業務災害になりうるのですね。夏場の労務管理では、見過ごせない点です。
江尾社労士:そのとおりです。だからこそ、平時の予防が大切になります。水分と塩分の補給、休憩の確保、作業環境の整備。こうした備えが、そもそも災害を起こさないための第一の防波堤です。そして加えて、労災の申請は、本来、被災した労働者やその遺族が行うものですが、会社には、その手続きに協力し、証明を行う責任があります。嘱託社員が安心して療養に専念できるよう、会社が手続きを支える。これも、災害補償という制度の一部だと考えてください。
トラブル2:「通勤中のけがも、業務中と同じ扱いですよね」──業務災害と通勤災害
画猫さん:次の相談です。嘱託社員のKさんが、自宅から会社へ向かう途中で転倒し、けがをしました。上司は「通勤中も業務のうちだから、業務中のけがと同じ扱いだ」と言っています。これは正しいのでしょうか。
江尾社労士:気持ちとしては分かりますが、法的には区別が必要です。通勤中の負傷は「通勤災害」として扱われ、業務中の負傷である「業務災害」とは、別の枠組みになります。労災保険では、どちらも給付の対象になりますが、その位置づけには違いがあります。
画猫さん:どちらも労災保険から給付が出るのですね。では、何が違うのでしょうか。
江尾社労士:大きな違いは、会社の補償責任です。第56条第4項をご覧ください。嘱託社員の通勤途上での負傷、疾病、死亡については、労災保険その他の法令、各種保険などにより扶助を受けるものとする、とあります。通勤災害については、業務災害のような会社そのものの補償責任は、原則として定められていないのです。
画猫さん:業務災害では会社にも補償責任があるけれど、通勤災害では、その会社の責任は原則としてない、ということですか。
江尾社労士:そのとおりです。理由は、通勤の経路や方法は、基本的に労働者自身が選ぶもので、会社の指揮命令が直接及ぶ場面ではないからです。ですから、先ほどの待期期間の3日間についても、業務災害では会社が休業補償を行いますが、通勤災害では、会社にその補償義務は課されていません。同じ「けが」でも、業務中か通勤中かで、会社の責任の重さが変わるのです。
画猫さん:すると、Kさんの通勤中の転倒は、まず労災保険の通勤災害として手続きを進める。会社が第56条第1項の補償を負う業務災害とは、扱いが違う、ということですね。
江尾社労士:そのとおりです。ただし、注意すべき点があります。通勤災害と認められるには、住居と就業の場所との間を、合理的な経路と方法で移動していたことが必要です。途中で経路を大きく逸れたり、私的な用事で中断したりすると、その後は通勤とは認められないことがあります。Kさんがどの経路で、どこで転倒したのかを、丁寧に確認する必要があります。
画猫さん:寄り道の途中だと、通勤災害にあたらないこともあるのですね。事実の確認が、ここでも欠かせないのですね。
江尾社労士:そのとおりです。もっとも、日常生活に必要な最小限の行為、たとえば日用品の買い物などのために経路を離れた場合には、元の経路に戻った後は、再び通勤と認められる扱いもあります。細かな判断が必要ですから、迷ったときは、所轄の労働基準監督署に確認するのが確実です。それから、業務外かつ通勤外の私的な傷病については、第56条第5項にあるとおり、健康保険による扶助を受けることになります。三つの入口を区別しておくことが、正しい手続きの第一歩です。
画猫さん:業務災害、通勤災害、私的な傷病。この三つで、給付の出どころが変わるのですね。嘱託社員のように、複数の会社で働いている方の場合は、何か特別な扱いがあるのでしょうか。
江尾社労士:よい質問です。定年後に、複数の勤め先で短時間ずつ働く方も増えています。こうした複数の会社で働く労働者については、近年、労災保険の制度が見直されました。休業補償などの給付額を計算するときに、すべての勤め先の賃金を合算して算定する扱いになっています。また、一つの会社の業務だけでは業務災害と認められなくても、複数の会社の業務による負荷を合わせて評価する仕組みも設けられました。嘱託社員の働き方が多様になっている今、頭に入れておきたい点です。
画猫さん:掛け持ちで働く方が不利にならないよう、制度も変わってきているのですね。多様な働き方に、補償の仕組みも追いついてきている、ということですね。
江尾社労士:そのとおりです。制度は、働き方の変化に合わせて少しずつ更新されています。だからこそ、私たちのような専門家に、折々に確認していただくのがよいのです。古い知識のまま運用していると、本来受けられるはずの給付を、被災した人が受け損ねることにもなりかねません。
トラブル3:「3年たっても治らない嘱託社員を、解雇できますか」──打切補償と解雇制限
画猫さん:最後の相談です。業務災害で長く療養している嘱託社員Lさんがいます。療養が始まってから、そろそろ3年になります。上司から「いつまでも在籍のままでよいのか、解雇はできないのか」と問われました。これは、どう考えればよいのでしょうか。
江尾社労士:これは非常にデリケートな論点です。まず、大前提を確認しましょう。第8章でも触れましたが、労働基準法には解雇制限があります。業務上の傷病で療養のために休業する期間と、その後30日間は、原則として解雇できません。療養しているあいだは、雇用を守るのが原則なのです。
画猫さん:では、療養が続いている限り、解雇はできない、ということですか。
江尾社労士:原則はそうです。ただし、例外を定めるのが「打切補償」という仕組みです。労働基準法第81条は、療養の開始後3年を経過しても傷病が治らない場合に、会社が平均賃金の1200日分を支払えば、その後の補償を打ち切ることができる、と定めています。当社の第56条第1項第6号にも、打切補償として平均賃金の1200日分が挙げられています。そして、この打切補償を行うと、先ほどの解雇制限も解除されるのです。
画猫さん:平均賃金の1200日分という大きな補償を支払うことで、はじめて解雇の道が開かれる、ということですね。かなり重い要件です。
江尾社労士:そのとおりです。安易に解雇できる仕組みではありません。ここで、労災保険との関係が重要になります。療養が長引き、療養開始後1年6か月を経過しても治らず、傷病の程度が重い場合には、労災保険から「傷病補償年金」が支給されることがあります。この年金は、傷病の重さに応じた等級、具体的には第1級から第3級までの傷病等級に従って支給されます。そして、療養開始後3年を経過した時点で、この傷病補償年金を受けている場合には、会社が打切補償を支払ったものとみなされるのです。
画猫さん:1年6か月と3年。二つの区切りがあるのですね。混乱しそうです。
江尾社労士:整理しておきましょう。まず、療養開始から1年6か月が一つ目の区切りです。この時点で、傷病が重く一定の等級に該当すれば、休業補償給付に代わって傷病補償年金が支給されるようになります。次に、療養開始から3年が二つ目の区切りです。この3年の時点で傷病補償年金を受けていれば、打切補償をしたものとみなされ、解雇制限が解除される、という流れになります。1年6か月は年金への切り替わりの目安、3年は解雇制限が解ける目安、と押さえてください。
画猫さん:1年6か月で年金に切り替わり、3年で解雇制限が解ける。二つの節目の意味が、はっきりしました。
画猫さん:みなされる、ということは、会社が実際に1200日分を支払わなくても、打切補償をしたことになる、ということですか。
江尾社労士:そのとおりです。療養開始から3年を経過した日に傷病補償年金を受けている、あるいはその後に受けることになった場合には、会社が打切補償を行ったものとみなされ、解雇制限が解除されます。当社の第39条第1項第3号の解雇事由も、これと連動しています。業務上の傷病の療養開始後3年を経過しても治らず、傷病補償年金を受けているとき、あるいは会社が打切補償を支払ったときは、解雇されることがある、という定めです。
画猫さん:第56条の補償、第39条の解雇事由、そして労災保険の傷病補償年金。三つが連動しているのですね。ばらばらに見ていたら、全体像を見失うところでした。
江尾社労士:まさにそこが、この章のいちばん難しいところです。ただし、忘れてはならないのは、これらはあくまで「解雇が法的に可能になる」入口にすぎない、ということです。実際に解雇するかどうかは、また別の判断です。長年会社を支えてきた嘱託社員が、業務による傷病で療養しているのです。解雇という選択に踏み切る前に、療養の状況をよく確認し、本人や主治医とも十分に話し合う。制度上できることと、人として為すべきことは、必ずしも同じではありません。
画猫さん:法的に可能であることと、実際にそうすべきかは別。最後に、いちばん大切なことを教わった気がします。
画猫さん:幸い回復に向かっているものの、以前と同じ作業は難しい、という場合には、どう考えればよいのでしょうか。障害が残ってしまうこともあると思います。
江尾社労士:大切な視点です。治療を尽くしても、これ以上の回復が見込めない状態、いわゆる症状固定に至り、障害が残った場合には、その程度に応じて障害補償給付が支給されます。しかし、補償を受けて終わり、ではありません。本人が働く意欲を持っているなら、残った機能でこなせる業務を用意できないか、作業の方法や環境を工夫できないか、会社として検討する余地があります。前章で触れた復職の考え方と同じく、負荷の軽い業務への配置転換なども、選択肢になります。
画猫さん:補償を支払うことと、働き続けられるよう支えることは、両立するのですね。むしろ、長年の経験を持つ嘱託社員なら、なおさら活躍の場を探したいところです。
江尾社労士:まさにそこです。身体の一部に負担を抱えても、その方が培ってきた判断力や段取りの力は、少しも損なわれていないことが多いのです。作業そのものは若手に任せ、経験を活かした指導や確認の役割を担ってもらう。そうした配置の工夫は、本人の生きがいにもなり、職場全体の安全意識を高めることにもつながります。災害補償の知識は、その先の「働き続ける支援」とひと続きなのです。
画猫さん:補償の話が、最後は活躍の場づくりにつながる。単なる手続きの知識ではないのだと、深く納得しました。
江尾社労士:災害補償は、働く人が不慮の傷病に見舞われたときに、その生活を支えるための最後の砦です。制度を正しく理解することは、いざというときに慌てず、被災した人を確実に支えるためにこそ役立ちます。冷たく運用するための知識ではなく、あたたかく支えるための知識として、この章を活かしてほしいのです。
おわりに
第10章では、災害補償を扱った。会社の補償責任が先にあり、労災保険がそれを肩代わりする。この順序を理解すれば、労災保険がカバーしない待期期間の3日間など、制度の隙間に残る会社の責任が見えてくる。業務災害と通勤災害では会社の補償責任の重さが異なり、私的な傷病は健康保険で扶助を受ける。三つの入口を区別することが、正しい手続きの出発点である。
長期化した傷病については、打切補償という重い要件のもとで、はじめて解雇制限が解除される。療養開始後3年を経過して傷病補償年金を受けているときは、打切補償を行ったものとみなされ、第56条の補償、第39条の解雇事由、労災保険の給付が一つに連動する。しかし、法的に可能であることと、実際にそうすべきかは別である。災害補償は、被災した人をあたたかく支えるための制度なのだ。
こうして嘱託社員就業規則を、表彰・懲戒から災害補償まで、章を追って読み解いてきた。定年後も働き続ける方々が、安心して、その経験と技能を発揮できる職場をつくること。就業規則は、そのための静かな約束である。読み、活かし、そして必要に応じて見直していく。その積み重ねが、法令を守りながら、働く人の幸福を実現する道につながっていく。
参照条文一覧
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条文 |
内容の要点 |
主な関連トラブル |
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第56条第1項 |
会社の災害補償責任。療養・休業・障害・遺族補償、葬祭料、打切補償。 |
トラブル1・3 |
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第56条第2項 |
労災保険等から相当給付を受ける場合は、その限度で会社補償を適用せず。 |
トラブル1 |
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第56条第4項 |
通勤途上の傷病等は労災保険その他の法令・保険により扶助を受ける。 |
トラブル2 |
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第56条第5項 |
業務外の傷病等は健康保険により扶助を受ける。 |
トラブル2 |
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第39条第1項第3号 |
療養開始後3年経過で傷病補償年金受給等のときの解雇事由。 |
トラブル3 |
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第40条 |
解雇制限。業務上傷病の療養休業期間とその後30日間は解雇不可。 |
トラブル3 |
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労基法第76条 |
休業補償。業務災害の待期3日間は会社が平均賃金6割を補償。 |
トラブル1 |
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労基法第81条 |
打切補償。療養開始後3年で平均賃金1200日分を支払い補償を打切り。 |
トラブル3 |
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労災保険法(傷病補償年金) |
3年経過時に受給していれば打切補償をしたものとみなす。 |
トラブル3 |
社会保険労務士 江尻育弘